そんなわけで、昔の話をちらほらと!

月曜日はたいていいつもより怠いね!


まぁ誰が読んでる訳でもないので
紀由月のむかし、書こうとかを
語っていこうかなぁとおもいまするよ。


紀由月は、
子供の頃は自分が願うことはたいてい叶うことを知っとりました。
あれがほちい、これほちい。
どんどんほちい。。
しかし、紀由月の家は、紀由月が産まれて10日くらいで両親が離婚しておりま。
なんということでしょう。父親の顔を知らずして30年ほど。
父はね働かなかったんですよ。だから、離婚されても仕方ないね。
そして母はね、紀由月に父はしんだと申してたのですよ。
それから20年程たち、パスポートをつくるため本籍地に戸籍謄本をゲットしたらば
あれまぁ母の名前にバッテン。
離婚しとるやないか!!!

特にそれに対してなーーーんもいわなかったけんね。えらいよ。わし。


それでも母は紀由月と姉を二人で育てた。
なんとまぁ、大変な親でしょう。
世間体も気にする人だったけど、離婚というパーソナルデータだけで、世間から逸脱される時代ではあった。
そして、とにかく貧乏でしたわ。

お金がないので、あれこれほちい。
なんて、言えませんて。
どんどん現実が叶うことを諦めていった紀由月。
小学校に上がる頃には
何故学校に行かねばならんのよ?
と、まじでおもってた。

最近、学校行きたくないから行かへんって子供が割りと普通に居るよね。
調べたいことはネットで検索する。行かなくても平気や困らん!みたいな。

学校はたしかに、将来なんも考えずに偉い人の言うことだけ聞いて、自我を無くすっていうコンセプトもありそーだなーとは思うし。
わたしいま算数やりたくないのになんで算数の時間?
と、ワガママが止まらなかったし、理解ができなかった。
周りの子供との格差みたいなのもあったし、自分は不幸だったとさえ思う。



そんな小学生時代は、
とてもつまらなかった。
それでも高学年になるにつれて
なんとなーーーく、学校へ行けるようになりましたとさ。


子供の頃の紀由月は、

我慢すればワガママはとーると、知っていたので、大人は根気強くない。全然ない。
時間に終われているからな。
そんなことを知っていた。

学校にいけないわたしに母は、
水かけたり、ガラスぶつけてきたり、首閉めたり、ころすぞといわれたり、ぶたれたり。。

毎日なんで学校いかないの。

弱るときもあれば、また紀由月を責めるだけで、お前のせいでわたしは不幸だとよくいわれてたね。

紀由月はほしかったんだよ



どんな自分でも受け入れてくれる人に出会いたかった、
出逢えなかった。