生産性のない世界

物語には必ず終わりがやってくる。

 

いつかやってくる

 

世界は自分のためにあるのではなく

世界は世界のためにあって  

社会は人のためにあるのではなく

一定の富裕層のためにある

組織は会社のためにあって

会社は働く人のためにはない

 

そんな風に思っていた。

 

 

だから、自分もせこせこ働く、働きアリのごとく働いている。

今日も、奴隷のように。

 

でも思う。

例えば朝7時に目覚ましが鳴るからそれにあわせて、昨日の夜23時には眠る。

たっぷり8時間眠れるじゃんって思っても

朝の3時に謎の目が覚める。

まだ4時間眠れるのにと脱力感に襲われる。

眠れない、眠れない、眠れない。

 

眠れないじゃん!!

 

うとうと仕掛かった朝6時、入眠1時間で強制目覚めの目覚ましが鳴る。

 

 

これがどんだけ精神的体力的ストレスか。

 

であれば

朝3時の謎の目覚めの時に仕事を進めたかった。

なんでまた7時におきて7時半の電車に約1時間またウトウトしながら職場に向かわねばならんのだろう。

この社会おかしくないか?

目が覚めたらそこで働いて、賃金寄越せ。

 

世界は人のためにはない。

なら、わたしは世界のために存在せずとも良いだろう。